メッカとされる国立がんセンターにおけるすべてのがん種(全悪性新生物)の治療後「五年生存率」は、手術、放射線、抗がん剤など集学的治療(複数の治療手段を組み合わせた治療法)により、五○%を超えて六○%をも展望する水準だという事実をひとしきり力説された。 当時からおよそ一○年近く、がんの医療について臨床の水準はもとより基礎的な遺伝子レベルまで、さまざまな領域で膨大な研究成果が日進月歩の勢いと報じられる。
だが、この間、肝心の治癒率という点で果たしてどれほどの前進が勝ち取られたであろうか。 あらためて言うまでもないが、がんの実態を理解するためにはがんに関する催患率・死亡率・生存率の把握が欠かせない。
さらに核心の治癒率ということになると、どうしてもいうところの「五年生存率」の意味を問うことから始めなければならないであろう。 治療後、日を経て再発してくることの多いがんの特性を考えれば、かりに外科手術によってがん病変を完全に取り除けたと判断しても、術後ただちに完治したと高言することは許されていない。
再発が予測される一定の時間、つまり術後五年間を経過観察期間と位置づけて、その間の追跡調査により再発が認められなければ、初めて治癒と認定するとの目安が定められている。 そうした医師世界独自の取り決めを「五年生存率」(五生率)と呼んでいるが、がんの治療に逼進する専門医たち、各医療機関にとって金科玉条の数値目標になっているといっても過言ではなかろう。
がん治療の総本山ともいうべき国立がんセンターのデータでは図1に見るごとく、過去から一九九九年まで二○年に限れば五生率が劇的に改善されてきたことは疑いえない。 全国水準で見ても、治療の地域格差があれこれ取りざたされながら、たとえば私の地元である、兵庫県立がんセンターでの全がん入院患者の累積五生率(一九九三九八年)は、それ以前の五年に比して男性で約三%、女性で約五%改善していると報告されている。
同じく新潟県立がんセンターの最近五年間の生存率は、それ以前の五年間(一九九一九五年)に比して約四%の上昇と報告されており、いずれも見方によっては着実に前進している数字と見ることもできる。 ここにきて国立がんセンターをはじめ各施設での五生率は、右肩上がりに改善してきたそれまでの実績に比すると、残念ながら予想外に伸び悩んでいることは否めない。
結論的にがんの治癒率全般、「五年生存率」が、少なくともここに至って極端に鈍化している一面を素直に認めないわけにはいかないように思われる。 日本に限らず、がん治療が成果をあげて死亡数が減少に転じ始めたと伝えられる米国においても認められる傾向である。
厳密にいえば、かの国の五生率はこの三○年ほどの問に一五%ほど改善しているが、嘗てのような一本調子の改善状況にないことは確かである。 その米国のようにがん登録が進んでいない日本の場合、がん医療の現状を全国的に網羅できるような公式統計は存在していない。

当然、国民がどのようながんに催患して、どういうふうな治療を受けているかといった厳密な数字は把握されるべくもない。 仕方なく一年間のがん死亡数三○万人などという公式の死亡記録にたよって、がんによる生死は目下、概括的に五割前後でせめぎあいが続いていると類推していることになる。
いずれにせよ診断法、治療法の格段の進歩にも支えられて、がんの治癒率はこれまで飛躍的13序章がん医療の「転換期」に向上してきたとされる。 他方で、がんによる死亡数は年を追って増加、直近一年では約三二万人にも達し、二○年前(一九八五年)の約一七万人という死亡数におよそ倍するような激増ぶりである。
いたるところで機会あるごとにがんの治癒率がどんどん高まっていると喧伝きれるのに、なぜ一方で死亡数はかくも年を追って急上昇を続けているのだろうか?二○世紀前半に日本人の死因の第一位であった結核の場合、抗結核剤によって治癒率の改善とともに死亡率が極端に減少していったことを思えば、がんで治癒率が上昇しても死亡数は倍増に近いという二律背反に首をかしげる向きも少なくないと思われる。 一次予防と二次予防の成果がんに関して最近の明るい話題といえば、胃がんによる死者の顕著な減少がある。
嘗て、がんといえば胃がんというぐらいに、擢患数.死亡数ともに断然、他を圧してとても手がつけられないほど猛威をふるった時代があった。 現在、催患数は引き続き首位としても、死亡率はこの四半世紀でおよそ半分ぐらいにまで減少、その首座を肺がんに譲ったということだけでも隔世の感がある。
その胃がんの死亡率の減少は、ひとえに「一次予防」と「二次予防」が相乗した成果だとされる。 一次予防というのは、食事をはじめ生活全般に関する習慣を改善してがんの発生を未然に防ぐことである。
この点で胃がんと食塩摂取量には密接な相関があって、戦後、日本人は食塩摂取の量を減らすことによって胃がんを減少させてきたといえる。 たとえば古くから「電気冷蔵庫が普及すると胃がんが減少する」といわれてきたエピソードが単なる俗説ではなく、最近では疫学的にはっきりと立証されるようになっている。
高塩分食品は胃粘膜の変化、萎縮などをもたらして発がんを促進するとされる。 冷蔵庫の普及により日本人が好んできた塩漬け食品や、煉製食品の摂取が減少して、他方で新鮮な生野菜、果物が豊富に摂取できるような生活の近代化が発がんの抑制に連なり、胃がんの発生率が低下したといわれる。
二次予防というのは、胃がんを早期に発見して、ただちに切除という治療を行うことである。 そういう治療方式と一次予防を合わせた成果によって、胃がんの征圧は着実に前進しているということがしきりに強調されている。

こうした一次・二次予防の成果を評価する際、がんの催患率、死亡率をよりいっそう正確に統計処理することが求められる。 たとえば日本の胃がんの催患率(男性)の推移をみる場合、厚生労働省の人口動態統計などを額面通りに読み取ると、三○年前に八五人(対人口一○万人)であったものが、最近では二○人へとしだいに増加している。
この経年変化をグラフなどで図示すると、一見、時を追って上昇カーブを描いているとの印象を受ける。 他方で国立がんセンターのHPなどによる公式発表を見ると、男性の胃がん催患率はこの間、一○○人をかなり割り込んでいて、グラフ表示でも着実に漸減傾向の曲線として明示されている。
がんは、「年齢」「遺伝」「喫煙」などさまざまの要因が複雑にからみあうので、その経年変動、地域差(たとえば二二頁、三五頁のような日米比較)など本質的な評価をする場合、格別に綴密な手法が求められる。 特に最も強い影響要因である「年齢」の問題では、急速な高齢化の影響を正しく解析しなければ、日本のがんの動態を正確に表現することにはならない。
この点で人口の年齢構成の割合を以前のある年代と同じようにみなして補正する、「年齢調整死亡率」という考え方が医学界の常識となっている。 たとえば年齢構成を三○年前と同じと仮定して、人口一○万人当たりのがん死亡数を算出してみると、その間にがんで死ぬ可能性、確率が低くなったかどうかがおよそ判定できるということである。

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